8月に、BS-hiで放送していた「兵士たちの悪夢」というドキュメンタリー番組を、見る暇がなかったが見たくて録画していたのをやっと見た。
戦争にかり出された兵士たちの精神的な影響に焦点を当てた番組で、兵士たちの状態、当時の研究内容を、兵士の証言やその当時の心理学者・精神科医の見解、当時の患者の状態の実際のビデオ映像・・・・等々で更正されたドキュメンタリー番組だ。シェルショック(砲弾ショック)、戦闘疲労、戦闘消耗、トラウマ・・・・戦争神経症。
非常に興味深い内容だった。
理不尽な命令、自分の持つ価値観や道徳観と相反することをしなければならない心の葛藤(人を殺すべきではない-戦争では人を殺すことを求められる)、そうしたものたちに疲労し、心を消耗し鬱になっていく兵士たちが、当時どのように扱われていたか、考えられていたかを取り上げた番組。
もちろん、兵士の方々のカウンセリングをする、という機会はまだ私にはない。 しかし、自分が関わるクライエントさんたちと重なる部分を番組の中に多く見いだしたのも事実だ。
飛躍的な話になるかもしれないが、そして、自分が関わっているクライエントさんと重ねて見ること自体正しいのかどうか、、、、しかし、まさに被害者の方々もこの戦闘神経症と同じような境遇、戦いの中で自分をそぎ落とされていくという点で、非常に重なる部分、重なる見方ができてしまう私がいた。
つらつらつら、と思いつくままにメモ的に書くので、まとまりがないと思うが、機会があればしっかり言葉を組み立てて書けたらなぁ、と思う。また、書けるように、自分の中で熟考したい。
モラハラの被害者の方々の多くは「地雷がどこにうまっているかわからない恐怖」「自分がわからなくなっていく怖さ」という言葉で、家庭生活を、自分自身の心の状況を表現することが多い。
そして、そうした生活の中で、かつての自分では考えられないような言動をしてしまったり、鬱になったりといった人たちも多くいる。
そして大半、それらを、自分が弱いからだ、鬱になる自分の問題であると長い間思い続けている。あるいは、周囲にそのように言われている。
「似たようなことは、どこの家庭でもあるのよ。あなたのとらえ方に問題があるのでは」と。
兵士たちもまた、「発病するものはそうなりやすい遺伝的な素質を持っている」、「同じように戦場にいっているものでもならないものもいる。個人のパーソナリティの問題である。個人の弱さが原因である」と言われ続けてきた。多くの専門家に、精神科医に・・・・。
鬱になり、気力が消失し、あるいは身体症状が出、行動が乱れ(チックやふるえが出たり、歩けなくなったり、記憶障害になったり)、、、、、。
そうした中で、「もう戦場に戻れない」と意思表示をした兵士は「臆病罪」で死刑にさえなったと。
戦争から逃れたいと思う兵士たちは、臆病者であると、その兵士個人の弱さがもたらすものであると言われ続け、結局、彼らは戦場に戻り、ここで死ぬしかないと自分を諦めていく、、、、、。
番組の中で、「兵士たちの個人の弱さである」と多くの精神科医たちが唱えた時代に、フロイトの持った見解が紹介された。
・・・・への恐怖、・・・・という命令への反発。
戦争神経症の恐怖とは、自分の命の危険、それもあるけれど、自分の意思に反することをしなければならないという葛藤が非常に強いのではないだろうか。
納得いかないこと、自分の価値観では許せないことを強いられる苦痛。
「危険だと感じるものから逃れるという本能をなくすと、人は死ぬ」という言葉を以前私は、紹介したことがある。何かの映画の監督の言葉だったと。死ぬとは生命だけでなく、心も指すと私は思っている。そして、心の死は生命の死よりも苦しいと。
戦争の恐怖は自分の「命の危険」、それで要約され、多くの言葉を必要としないところがなきにしもあらずだが、自分の命の危険の恐怖、いくところ、逃れたくても逃れられない、戦場を離れることさえも許されない、危険から回避する本能を無視した行動を強いられる苦しさの方が、人にとっては辛いのではないだろうか。
「危険だと感じるものから逃れるという本能をなくすと、人は死ぬ」
危険だと感じるものから逃れる本能をそぎ落とさなければ、そこにいられない彼らは、命はあっても、死んでいるのであろう。
自分の命を守るために、敵を倒すこと、自分の価値観や道徳観、したくないこともできるように感情を麻痺させなければ、そういうことに「危険だと感じるものから逃れる本能」を発揮させる転換のできるものでなければ、そこに居続けることはできないのであろう。
敵を倒す、戦争なのだから人を殺しても致し方ない・・・・。そうした新たな自分を作り上げていくことで自分を守っていくことができる人が、そこで新たな価値観を見いだすことができる人が神経症にさいなまれることもさほどなく、生き延びていくことができるのだろう。
戦場で、さっさと弾に当たって死んだ方がましだ、ここで死ぬしか道はないと考える兵士たち。戦場に復帰できないくらいの大けがをして退役した方がよほどましだと考える兵士たち。そうした彼らは、退役した後も、戦争神経症に悩まされるという。
新たな自分、新たな価値観を作り上げるよりも守りたかった自己がある人ほどに葛藤、理不尽への反発反応は強いのであろう。確固たる自己があることに罪はないはずである。
番組を見ながら、声に出して、クライエントさんたちに伝えたい言葉が次々とわき起こってきた私がいた。
モラルハラスメント、精神的暴力は、命まで奪わない。身体的暴力とは違い、けがはしない。そんなことを言う人たちがいる。調停委員など専門家とされる人たちにすら。
身体的暴力よりも、精神的暴力の方が実は数十倍苦しい。身体的暴力を受け、体に誰でもが認めることができる傷を負ってはじめて、周りの人は、その暴力を認めてくれる。しかし、自分を生きれない、自分を生きることを許されない環境で生き続ける、がんばり続ける苦痛を、「モラルハラスメント、精神的暴力は、命まで奪わない」、という人は想像できないのだろう。
自我の葛藤から、心が悲鳴をあげ、神経症になってもなお、戦場から退くことも許されなかった兵士たちとは違い、危険だと感じたものから離れる自由を、モラルハラスメント・DVの被害者は持っていることを忘れないでほしい。
経済的なこと諸々、離れることで生じる不安は確かにあるかもしれない。
しかし、自分でどうにかなる不安と、自分ではどうにもならない不安、恐怖。あなたが抱いている不安はどちらにあたるのかをしっかり見極めてほしい。自分ではどうにもならない不安、恐怖から逃れずに、それにさらし続けることは、逃げたい、離れたいと感じる本能を無視し続けることは、いずれ(心の)死に導くことを知ってほしい。
そこで新たな価値観を見いだすことができない人、そこでの自分がこれからの自分である、と感じられない人は逃れるべきである。
見いだそう、感じようと思っても、見いだせない自分、感じられない自分だから苦しいのではないだろうか? その苦しさを無視しないでほしい。
モラルハラスメントは、単なる男尊女卑とは異なる、人の意思、価値観、生き方を否定し、それこそどこに地雷が埋まっているかわからないと表現させるような、矛盾し理不尽な命令や叱責が繰り広げられ、自分では納得できないこと、したくないこと、理解できないことを、「家庭生活を維持する」ためにし続ける葛藤が、あなたのうつや、様々な心身症状を生み出していることをしっかり認識してほしい。
自分の思いや、価値観、生き方を伝えても、無視し、それを認めようとしない夫は、「臆病罪で兵士を死刑にした」軍隊と同じであることを知っていてほしい。
あなた自身の生き方、思いを無視する夫は、いずれあなた(の心)を殺す(死刑にする)だろう。
自分は本当はどんな風に生きたいのか、どんな行動をとりたいのか、それをしっかり知り、その思いに誠実であってほしい。
鬱状態になった。
かつての自分では考えられないような行動をしてしまう。
自分ではコントロールできないような感情が襲ってくる。
そんな人こそ、しっかり、本当に自分が生きたい道を知ってほしい。
自分ではどうにもならない不安や恐怖から、しっかりと逃れてほしい。
そんなことを、思いながら、BS-hiで放送していた「兵士たちの悪夢」というドキュメンタリー番組を、見ていた今日の私である。
戦争にかり出された兵士たちの精神的な影響に焦点を当てた番組で、兵士たちの状態、当時の研究内容を、兵士の証言やその当時の心理学者・精神科医の見解、当時の患者の状態の実際のビデオ映像・・・・等々で更正されたドキュメンタリー番組だ。シェルショック(砲弾ショック)、戦闘疲労、戦闘消耗、トラウマ・・・・戦争神経症。
非常に興味深い内容だった。
理不尽な命令、自分の持つ価値観や道徳観と相反することをしなければならない心の葛藤(人を殺すべきではない-戦争では人を殺すことを求められる)、そうしたものたちに疲労し、心を消耗し鬱になっていく兵士たちが、当時どのように扱われていたか、考えられていたかを取り上げた番組。
もちろん、兵士の方々のカウンセリングをする、という機会はまだ私にはない。 しかし、自分が関わるクライエントさんたちと重なる部分を番組の中に多く見いだしたのも事実だ。
飛躍的な話になるかもしれないが、そして、自分が関わっているクライエントさんと重ねて見ること自体正しいのかどうか、、、、しかし、まさに被害者の方々もこの戦闘神経症と同じような境遇、戦いの中で自分をそぎ落とされていくという点で、非常に重なる部分、重なる見方ができてしまう私がいた。
つらつらつら、と思いつくままにメモ的に書くので、まとまりがないと思うが、機会があればしっかり言葉を組み立てて書けたらなぁ、と思う。また、書けるように、自分の中で熟考したい。
モラハラの被害者の方々の多くは「地雷がどこにうまっているかわからない恐怖」「自分がわからなくなっていく怖さ」という言葉で、家庭生活を、自分自身の心の状況を表現することが多い。
そして、そうした生活の中で、かつての自分では考えられないような言動をしてしまったり、鬱になったりといった人たちも多くいる。
そして大半、それらを、自分が弱いからだ、鬱になる自分の問題であると長い間思い続けている。あるいは、周囲にそのように言われている。
「似たようなことは、どこの家庭でもあるのよ。あなたのとらえ方に問題があるのでは」と。
兵士たちもまた、「発病するものはそうなりやすい遺伝的な素質を持っている」、「同じように戦場にいっているものでもならないものもいる。個人のパーソナリティの問題である。個人の弱さが原因である」と言われ続けてきた。多くの専門家に、精神科医に・・・・。
鬱になり、気力が消失し、あるいは身体症状が出、行動が乱れ(チックやふるえが出たり、歩けなくなったり、記憶障害になったり)、、、、、。
そうした中で、「もう戦場に戻れない」と意思表示をした兵士は「臆病罪」で死刑にさえなったと。
戦争から逃れたいと思う兵士たちは、臆病者であると、その兵士個人の弱さがもたらすものであると言われ続け、結局、彼らは戦場に戻り、ここで死ぬしかないと自分を諦めていく、、、、、。
番組の中で、「兵士たちの個人の弱さである」と多くの精神科医たちが唱えた時代に、フロイトの持った見解が紹介された。
戦争神経症は、自我の葛藤によるトラウマ的神経症と見ることができる。
戦争神経症の直接的な原因は、軍が求める危険な任務、自らの意思に反する理不尽な命令から逃れたいという無意識の心の働きである。
殺されることへの恐怖、他人を殺せという命令への反発、これこそが戦争から逃れたいという気持ちを助長した最大の要因であった。
・・・・への恐怖、・・・・という命令への反発。
戦争神経症の恐怖とは、自分の命の危険、それもあるけれど、自分の意思に反することをしなければならないという葛藤が非常に強いのではないだろうか。
納得いかないこと、自分の価値観では許せないことを強いられる苦痛。
「危険だと感じるものから逃れるという本能をなくすと、人は死ぬ」という言葉を以前私は、紹介したことがある。何かの映画の監督の言葉だったと。死ぬとは生命だけでなく、心も指すと私は思っている。そして、心の死は生命の死よりも苦しいと。
戦争の恐怖は自分の「命の危険」、それで要約され、多くの言葉を必要としないところがなきにしもあらずだが、自分の命の危険の恐怖、いくところ、逃れたくても逃れられない、戦場を離れることさえも許されない、危険から回避する本能を無視した行動を強いられる苦しさの方が、人にとっては辛いのではないだろうか。
「危険だと感じるものから逃れるという本能をなくすと、人は死ぬ」
危険だと感じるものから逃れる本能をそぎ落とさなければ、そこにいられない彼らは、命はあっても、死んでいるのであろう。
自分の命を守るために、敵を倒すこと、自分の価値観や道徳観、したくないこともできるように感情を麻痺させなければ、そういうことに「危険だと感じるものから逃れる本能」を発揮させる転換のできるものでなければ、そこに居続けることはできないのであろう。
敵を倒す、戦争なのだから人を殺しても致し方ない・・・・。そうした新たな自分を作り上げていくことで自分を守っていくことができる人が、そこで新たな価値観を見いだすことができる人が神経症にさいなまれることもさほどなく、生き延びていくことができるのだろう。
戦場で、さっさと弾に当たって死んだ方がましだ、ここで死ぬしか道はないと考える兵士たち。戦場に復帰できないくらいの大けがをして退役した方がよほどましだと考える兵士たち。そうした彼らは、退役した後も、戦争神経症に悩まされるという。
新たな自分、新たな価値観を作り上げるよりも守りたかった自己がある人ほどに葛藤、理不尽への反発反応は強いのであろう。確固たる自己があることに罪はないはずである。
番組を見ながら、声に出して、クライエントさんたちに伝えたい言葉が次々とわき起こってきた私がいた。
モラルハラスメント、精神的暴力は、命まで奪わない。身体的暴力とは違い、けがはしない。そんなことを言う人たちがいる。調停委員など専門家とされる人たちにすら。
身体的暴力よりも、精神的暴力の方が実は数十倍苦しい。身体的暴力を受け、体に誰でもが認めることができる傷を負ってはじめて、周りの人は、その暴力を認めてくれる。しかし、自分を生きれない、自分を生きることを許されない環境で生き続ける、がんばり続ける苦痛を、「モラルハラスメント、精神的暴力は、命まで奪わない」、という人は想像できないのだろう。
自我の葛藤から、心が悲鳴をあげ、神経症になってもなお、戦場から退くことも許されなかった兵士たちとは違い、危険だと感じたものから離れる自由を、モラルハラスメント・DVの被害者は持っていることを忘れないでほしい。
経済的なこと諸々、離れることで生じる不安は確かにあるかもしれない。
しかし、自分でどうにかなる不安と、自分ではどうにもならない不安、恐怖。あなたが抱いている不安はどちらにあたるのかをしっかり見極めてほしい。自分ではどうにもならない不安、恐怖から逃れずに、それにさらし続けることは、逃げたい、離れたいと感じる本能を無視し続けることは、いずれ(心の)死に導くことを知ってほしい。
そこで新たな価値観を見いだすことができない人、そこでの自分がこれからの自分である、と感じられない人は逃れるべきである。
見いだそう、感じようと思っても、見いだせない自分、感じられない自分だから苦しいのではないだろうか? その苦しさを無視しないでほしい。
モラルハラスメントは、単なる男尊女卑とは異なる、人の意思、価値観、生き方を否定し、それこそどこに地雷が埋まっているかわからないと表現させるような、矛盾し理不尽な命令や叱責が繰り広げられ、自分では納得できないこと、したくないこと、理解できないことを、「家庭生活を維持する」ためにし続ける葛藤が、あなたのうつや、様々な心身症状を生み出していることをしっかり認識してほしい。
自分の思いや、価値観、生き方を伝えても、無視し、それを認めようとしない夫は、「臆病罪で兵士を死刑にした」軍隊と同じであることを知っていてほしい。
あなた自身の生き方、思いを無視する夫は、いずれあなた(の心)を殺す(死刑にする)だろう。
自分は本当はどんな風に生きたいのか、どんな行動をとりたいのか、それをしっかり知り、その思いに誠実であってほしい。
鬱状態になった。
かつての自分では考えられないような行動をしてしまう。
自分ではコントロールできないような感情が襲ってくる。
そんな人こそ、しっかり、本当に自分が生きたい道を知ってほしい。
自分ではどうにもならない不安や恐怖から、しっかりと逃れてほしい。
そんなことを、思いながら、BS-hiで放送していた「兵士たちの悪夢」というドキュメンタリー番組を、見ていた今日の私である。
コメント
たいへんすぐれたドキュメンタリーだったようですね
お久しぶりです!
神奈川県から福岡県に転居し、開業カウンセリングルームも「移転」したばかりのこういちろうです。
「兵士たちの悪夢」というドキュメンタリーそのものが、恐らく時代的な制約を受けながらも、たいへんすぐれた内容を持つものであることが伝わってまいりました。ご紹介に感謝いたします。
そして、それを、モラハラと関連づけて、非常に整理された形で紹介して下さった惠美さんにも敬意を表したいと思います(^^)
戦争神経症と、モラハラに置かれた人の心理状況は共通性が高いという惠美さんの見地は、私の乏しい臨床経験からみても、全く妥当ではないかと思えました。
>身体的暴力よりも、精神的暴力の方が実は数十倍苦しい。
そう言えることが、まだまだ認識されていない時代だと痛切に感じます。
単純に、
「被害者の受け止め方にヒステリックな(あるいは「過敏な」)ところがあるのではないか」
「被害者側が情緒不安定になる素因を持つのではないか」
という方向にのみ、カウンセラーや精神科医ですら先入観を持ちかねないのが現状だと思えます。
しかし、
1.仮に結果的に被害者の精神状態がそのようにもいえるものになっていたとしても、それは加害者との「関係性」の中で「引き出された」ものである。
2.更に、被害者ご本人がそのような構造にはまっていることを自己認識できないところまで「自分を見失って」おられ、むしろ自分を責める「内罰的」な姿勢にはまり込んでいることも多い。
と感じます。
そこからの回復を援助するのもカウンセラー全般の大事な役割だと思いますが、恐らく、DV、いじめ、モラハラに詳しい一部の専門家以外にまで幅広く浸透しているとはいえないのが現状ではないでしょうか。
カップルや恋人との関係についてのご相談を受けていると、そこに「一見目立たないモラハラ構造」の潜在を感じることが結構あるように思います。
【追記】:
かの来談者中心療法の祖、カール・ロジャーズもまた、若き日の最初の臨床現場のひとつが戦争神経症の患者さん相手だったと記憶します。その頃ロジャーズがどのようなアプローチを試みたかは不勉強なままですが、後に「自己と経験の不一致」を不適応としてとらえ、クライエントさんがほんとうに感じ、体験しているている経験世界の中での、あい矛盾するさまざまな自身の思いに触れ、自己受容していき、ひとつの全体として俯瞰的に体験できるようになることで、クライエントさんの自律的自我の回復が生じるというロジャーズの見地の確立に、どこかで影響しているかもしれません。
お久しぶりです!
神奈川県から福岡県に転居し、開業カウンセリングルームも「移転」したばかりのこういちろうです。
「兵士たちの悪夢」というドキュメンタリーそのものが、恐らく時代的な制約を受けながらも、たいへんすぐれた内容を持つものであることが伝わってまいりました。ご紹介に感謝いたします。
そして、それを、モラハラと関連づけて、非常に整理された形で紹介して下さった惠美さんにも敬意を表したいと思います(^^)
戦争神経症と、モラハラに置かれた人の心理状況は共通性が高いという惠美さんの見地は、私の乏しい臨床経験からみても、全く妥当ではないかと思えました。
>身体的暴力よりも、精神的暴力の方が実は数十倍苦しい。
そう言えることが、まだまだ認識されていない時代だと痛切に感じます。
単純に、
「被害者の受け止め方にヒステリックな(あるいは「過敏な」)ところがあるのではないか」
「被害者側が情緒不安定になる素因を持つのではないか」
という方向にのみ、カウンセラーや精神科医ですら先入観を持ちかねないのが現状だと思えます。
しかし、
1.仮に結果的に被害者の精神状態がそのようにもいえるものになっていたとしても、それは加害者との「関係性」の中で「引き出された」ものである。
2.更に、被害者ご本人がそのような構造にはまっていることを自己認識できないところまで「自分を見失って」おられ、むしろ自分を責める「内罰的」な姿勢にはまり込んでいることも多い。
と感じます。
そこからの回復を援助するのもカウンセラー全般の大事な役割だと思いますが、恐らく、DV、いじめ、モラハラに詳しい一部の専門家以外にまで幅広く浸透しているとはいえないのが現状ではないでしょうか。
カップルや恋人との関係についてのご相談を受けていると、そこに「一見目立たないモラハラ構造」の潜在を感じることが結構あるように思います。
【追記】:
かの来談者中心療法の祖、カール・ロジャーズもまた、若き日の最初の臨床現場のひとつが戦争神経症の患者さん相手だったと記憶します。その頃ロジャーズがどのようなアプローチを試みたかは不勉強なままですが、後に「自己と経験の不一致」を不適応としてとらえ、クライエントさんがほんとうに感じ、体験しているている経験世界の中での、あい矛盾するさまざまな自身の思いに触れ、自己受容していき、ひとつの全体として俯瞰的に体験できるようになることで、クライエントさんの自律的自我の回復が生じるというロジャーズの見地の確立に、どこかで影響しているかもしれません。
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