長いこと、ブログ投稿画面にアクセスできなかった・・・・。
で、今頃? なカンのある話題だが(苦笑)
次回の特別編を見ないと、本当のラストがわからない、とのふれこみが出回っている
ドラマ「ラストフレンズ」一応の最終回・・・・・。
私は、最悪の事例ケースとしてドラマを見ていた。といっても、たいてい、ネットでだが。
最悪の事例ケースの代表的な例としてラストを迎えるのかもしれないなあ、と。
たとえば、みちるが犯された時点で、ソウスケを殺してしまうというケース想定。そして、獄中出産し、友人としてルカとタケルが子どもを育てて、みちるが出てくるのを友人として待つ、という想定だ。
彼らのような、まずい対策をとっていると、最後にはこうにさえなるんですよ、という悪い事例ケースとしてラストを飾る・・・・という想定。あのドラマの流れからしたら、その方が至極自然だ。
でも、おそらく、ジャニーズ事務所が、あるいは長澤まさみの事務所が、そんな殺され方、殺し方を許さなかったのだろうなあ。。。。(苦笑)
DVの描写などは、たぶん、アドバイザーがいたはずで、ところどころうまく表現されていたが、本質的に被害者、加害者を理解し切れていない脚本家の混乱がひしひしとドラマから伝わってきた。
うまく表現されていて、視聴者から評価を得ていた、DV被害者の心理的な面の表現シーン(戻りたい心理などを代表する)は、脚本家というより、DVについてサポートしていたアドバイザーの力ではないだろうかと、私は思っている。それをきちんと伝えることができたから、脚本にすることができたと。
脚本家自体が理解し切れていない三つの問題(性同一性障害、身内による性的被害の影響、そしてドラマのメインとなったDV)を一気に、取り上げようとしたことにも無理があったのではないだろうか。
なんでだろう? なんで? 脚本家自体も、ドラマをかきながら、どうしても被害者みちる、加害者ソウスケの行動が理解できないで、疑問符のまま話を書き続け、解決を見いだせないままにドラマを終えることになったのではないだろうか?
なんにしても、あのドラマの中では、何一つ解決していない。
子どもを産んだ段階で、ソウスケに許された気がする、云々とみちるが言っている時点で、みちるのDV問題はまだ、解決していないことが見て取れる。
ソウスケが自殺するという究極の卑怯な攻撃を、しっかり一身(心)に受け止め、そのまま子どもを出産してしまったみちるは、なにもまだ解決できないままに、依存し合いながら生きる道にひとまず収まっていく。。。。というラストは、どうもなぁ。
パート2を想定している? にしても、三つの問題がどれ一つとして、本当の意味で解決していない半端な、違和感のあるラスト・・・・なんではないか。
視聴者に解決思考を求める布石にすらなっていない。
そうそう、私は、あの錦戸亮君という子はたいしたもんだなあ、と感心した。
いろいろなところで、ソウスケの自殺は、最後の優しさだったとか、最後の最後に、みちるを解放する手段として選んだ選択だったとかかかれているけれど、写真を眺めている役者錦戸亮君の表情は違う。脚本に指示が無かったとしても、あったとしても、彼はしっかり理解してあの表情をしているなあ、と。
あれだけのことをしてきたソウスケが(みちるへ、ルカへ、タケルへ)、最後に、自分のしてきたことをあっさり認めて、みちるを解放するために、自分を犠牲にするはずがない、という思いが、亮ちゃんの表情に含まれていた気がしている。
写真を見ていて、たまらない孤独におそわれ、羨望におそわれ、最後の報復、最後の攻撃として自殺した、というのを彼は表現していたように私は思った。そして、自分を見つめるということから、逃げた。。。。。死ぬ方が自分を見つめるより楽だという、典型的な逃避。
決して、美しい自殺ではないと。逃避と醜さと憎しみの典型の自殺だ。
もし、脚本に指示なく、あの表情を彼がしたのなら、彼がこのドラマの中で、DV加害者の心理に、しっかりと寄り添うことができた。彼が、DVを一番理解できたと言うことになる。
ジャニーズタレントにしておくには惜しい。。。。
追記:アクセスできないので、なかなか修正できなかった。が、内容の半端さが理解できた。映画化が急に決まったそうだ。次につなげなければいけないので、完結させるわけにはいかなかったのね(苦笑)
で、今頃? なカンのある話題だが(苦笑)
次回の特別編を見ないと、本当のラストがわからない、とのふれこみが出回っている
ドラマ「ラストフレンズ」一応の最終回・・・・・。
私は、最悪の事例ケースとしてドラマを見ていた。といっても、たいてい、ネットでだが。
最悪の事例ケースの代表的な例としてラストを迎えるのかもしれないなあ、と。
たとえば、みちるが犯された時点で、ソウスケを殺してしまうというケース想定。そして、獄中出産し、友人としてルカとタケルが子どもを育てて、みちるが出てくるのを友人として待つ、という想定だ。
彼らのような、まずい対策をとっていると、最後にはこうにさえなるんですよ、という悪い事例ケースとしてラストを飾る・・・・という想定。あのドラマの流れからしたら、その方が至極自然だ。
でも、おそらく、ジャニーズ事務所が、あるいは長澤まさみの事務所が、そんな殺され方、殺し方を許さなかったのだろうなあ。。。。(苦笑)
DVの描写などは、たぶん、アドバイザーがいたはずで、ところどころうまく表現されていたが、本質的に被害者、加害者を理解し切れていない脚本家の混乱がひしひしとドラマから伝わってきた。
うまく表現されていて、視聴者から評価を得ていた、DV被害者の心理的な面の表現シーン(戻りたい心理などを代表する)は、脚本家というより、DVについてサポートしていたアドバイザーの力ではないだろうかと、私は思っている。それをきちんと伝えることができたから、脚本にすることができたと。
脚本家自体が理解し切れていない三つの問題(性同一性障害、身内による性的被害の影響、そしてドラマのメインとなったDV)を一気に、取り上げようとしたことにも無理があったのではないだろうか。
なんでだろう? なんで? 脚本家自体も、ドラマをかきながら、どうしても被害者みちる、加害者ソウスケの行動が理解できないで、疑問符のまま話を書き続け、解決を見いだせないままにドラマを終えることになったのではないだろうか?
なんにしても、あのドラマの中では、何一つ解決していない。
子どもを産んだ段階で、ソウスケに許された気がする、云々とみちるが言っている時点で、みちるのDV問題はまだ、解決していないことが見て取れる。
ソウスケが自殺するという究極の卑怯な攻撃を、しっかり一身(心)に受け止め、そのまま子どもを出産してしまったみちるは、なにもまだ解決できないままに、依存し合いながら生きる道にひとまず収まっていく。。。。というラストは、どうもなぁ。
パート2を想定している? にしても、三つの問題がどれ一つとして、本当の意味で解決していない半端な、違和感のあるラスト・・・・なんではないか。
視聴者に解決思考を求める布石にすらなっていない。
そうそう、私は、あの錦戸亮君という子はたいしたもんだなあ、と感心した。
いろいろなところで、ソウスケの自殺は、最後の優しさだったとか、最後の最後に、みちるを解放する手段として選んだ選択だったとかかかれているけれど、写真を眺めている役者錦戸亮君の表情は違う。脚本に指示が無かったとしても、あったとしても、彼はしっかり理解してあの表情をしているなあ、と。
あれだけのことをしてきたソウスケが(みちるへ、ルカへ、タケルへ)、最後に、自分のしてきたことをあっさり認めて、みちるを解放するために、自分を犠牲にするはずがない、という思いが、亮ちゃんの表情に含まれていた気がしている。
写真を見ていて、たまらない孤独におそわれ、羨望におそわれ、最後の報復、最後の攻撃として自殺した、というのを彼は表現していたように私は思った。そして、自分を見つめるということから、逃げた。。。。。死ぬ方が自分を見つめるより楽だという、典型的な逃避。
決して、美しい自殺ではないと。逃避と醜さと憎しみの典型の自殺だ。
もし、脚本に指示なく、あの表情を彼がしたのなら、彼がこのドラマの中で、DV加害者の心理に、しっかりと寄り添うことができた。彼が、DVを一番理解できたと言うことになる。
ジャニーズタレントにしておくには惜しい。。。。
追記:アクセスできないので、なかなか修正できなかった。が、内容の半端さが理解できた。映画化が急に決まったそうだ。次につなげなければいけないので、完結させるわけにはいかなかったのね(苦笑)
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