母子家庭生活もずいぶん長くなった。
その年、その年の悩みがあり、なんだかんだと乗り越えながら、やってきた。ふり返ると、懐かしく感じるが、その当時はほんとうにしんどかった。
ぼちらぼちら、子育てから解放かな、と思いつつも、なかなか解放させてくれないのが子どもってもので・・・・。テヤンディ!イイカゲンニシヤガレ!なことが相変わらず頻繁に勃発はするのだけれどね(苦笑)
母子家庭の子育てをふり返るとき、一人で子どもを育てたわけではないんだなあ、としみじみ思う。母子家庭だったからこそ実感できることかも知れない。
「子どもは親だけが育てるものではない」ということを・・・・。
ある日、真ん中の息子のことで悩んでいたとき、上の息子に言われたことがある。
「ママはママでいい。父親になろうとするな!母親として接すればいいねん。無理に父親の役割をしようとしなくてもいいねんで」と。
確かに、私は父親の役割も果たそうと、がむしゃらになっていた。
しかし、彼らは彼らで、父親のかわりになる物を、自分たちの力で見つけていたことを思い出す。時におじいちゃん。時に、おじさん。時に、バイト先の店長・・・・等々。
なのに、必死になって、「父親の役割」も果たそうと、がむしゃらになって潰れそうになっていたときの上の息子のセリフだった。
母親であればそれでいいのだ。無理に父親をしなくてもいい。
決して優秀な子どもたちではないし、世間的に見れば「落ちこぼれ」の枠組みに入る今かもしれないが、私が30代後半になって、自分を見つけたように、彼らもまだまだこれから。
あれよあれよと言っている間に、親が保護し、親が道筋を作る時代は終わったわけで、彼ら自身の人生はまだまだ始まったばかりなんだろうし・・・・と。
さて、子育てが一段落しそうな今、なぜに子犬なんだ? と自分でも思いもするが、一つの役割から解放されそうになると、あんなにしんどかったのに、その懐かしさに、ついしがみつきたくなるのだろうか(笑)
子どもたちが大きくなってくると、それぞれに忙しくなり、一人暮らし感覚を味わう時間が増えた。
「ああ、早く一人になりたい!」と言っていたのに、いざ、それに近い状態になると・・・・寂しくないと言えば嘘になる。
あまりのように、怒濤の生活が当たり前になりすぎていて、静かになると、ポッカリと何かが抜け落ちたような感覚に襲われてしまう。(空の巣症候群ってやつかな)
そんなとき、子犬のメルが、私が本を読んでいる横に、テレビを見ている横に、なにげにいて、遊んでいる。
時折からんできて、じゃれてきて、ほたえてきて、それにつきあって・・・・で、「もう!いいかげんにしなさいよ!(#^.^#)」なんて。そんなとき、ふと懐かしさに浸ることがある。
時にはしかり、時にはほめ、きゅっと抱きしめるとほんわりと暖かい。
腕の中で安心して眠ったり、「遊ぶ~」と暴れたり、親(飼い主)の思い通りにはならない自我のある存在。自由奔放な子犬のメル。
・・・・だから、私はこの今、メルを家族に迎えたのかも知れないなあ、と。
メルはメルのままでいいよ。
中には自我を抑えて「ひとさまの役に立つ仕事」に就いている犬もいるけれど、メルはメルのままでいい。
腕白でもいい!たくましく育って欲しい・・・・と、昔CMで三船敏郎さんが言っていたように、落ちこぼれ犬でもいい。そのまま、自由に、たくましく育ってくれたらいいよ。そんなことを思う。
メルちゃん自分で歯磨き中!
その年、その年の悩みがあり、なんだかんだと乗り越えながら、やってきた。ふり返ると、懐かしく感じるが、その当時はほんとうにしんどかった。
ぼちらぼちら、子育てから解放かな、と思いつつも、なかなか解放させてくれないのが子どもってもので・・・・。テヤンディ!イイカゲンニシヤガレ!なことが相変わらず頻繁に勃発はするのだけれどね(苦笑)
母子家庭の子育てをふり返るとき、一人で子どもを育てたわけではないんだなあ、としみじみ思う。母子家庭だったからこそ実感できることかも知れない。
「子どもは親だけが育てるものではない」ということを・・・・。
ある日、真ん中の息子のことで悩んでいたとき、上の息子に言われたことがある。
「ママはママでいい。父親になろうとするな!母親として接すればいいねん。無理に父親の役割をしようとしなくてもいいねんで」と。
確かに、私は父親の役割も果たそうと、がむしゃらになっていた。
しかし、彼らは彼らで、父親のかわりになる物を、自分たちの力で見つけていたことを思い出す。時におじいちゃん。時に、おじさん。時に、バイト先の店長・・・・等々。
なのに、必死になって、「父親の役割」も果たそうと、がむしゃらになって潰れそうになっていたときの上の息子のセリフだった。
母親であればそれでいいのだ。無理に父親をしなくてもいい。
決して優秀な子どもたちではないし、世間的に見れば「落ちこぼれ」の枠組みに入る今かもしれないが、私が30代後半になって、自分を見つけたように、彼らもまだまだこれから。
あれよあれよと言っている間に、親が保護し、親が道筋を作る時代は終わったわけで、彼ら自身の人生はまだまだ始まったばかりなんだろうし・・・・と。
さて、子育てが一段落しそうな今、なぜに子犬なんだ? と自分でも思いもするが、一つの役割から解放されそうになると、あんなにしんどかったのに、その懐かしさに、ついしがみつきたくなるのだろうか(笑)
子どもたちが大きくなってくると、それぞれに忙しくなり、一人暮らし感覚を味わう時間が増えた。
「ああ、早く一人になりたい!」と言っていたのに、いざ、それに近い状態になると・・・・寂しくないと言えば嘘になる。
あまりのように、怒濤の生活が当たり前になりすぎていて、静かになると、ポッカリと何かが抜け落ちたような感覚に襲われてしまう。(空の巣症候群ってやつかな)
そんなとき、子犬のメルが、私が本を読んでいる横に、テレビを見ている横に、なにげにいて、遊んでいる。
時折からんできて、じゃれてきて、ほたえてきて、それにつきあって・・・・で、「もう!いいかげんにしなさいよ!(#^.^#)」なんて。そんなとき、ふと懐かしさに浸ることがある。
時にはしかり、時にはほめ、きゅっと抱きしめるとほんわりと暖かい。
腕の中で安心して眠ったり、「遊ぶ~」と暴れたり、親(飼い主)の思い通りにはならない自我のある存在。自由奔放な子犬のメル。
・・・・だから、私はこの今、メルを家族に迎えたのかも知れないなあ、と。
メルはメルのままでいいよ。
中には自我を抑えて「ひとさまの役に立つ仕事」に就いている犬もいるけれど、メルはメルのままでいい。
腕白でもいい!たくましく育って欲しい・・・・と、昔CMで三船敏郎さんが言っていたように、落ちこぼれ犬でもいい。そのまま、自由に、たくましく育ってくれたらいいよ。そんなことを思う。
メルちゃん自分で歯磨き中!
コメント
コメントする